2016年09月19日

The Last Words of Hideki Tojo, former Prime Minister of Japan

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Former Prime Minister Kukrit Pramoj in 1973, stated:

“It was thanks to Japan that all nations of Asia gained independence. For Mother Japan, it was a difficult birth which resulted in much suffering, yet her children are growing up quickly to be healthy and strong.

Who was it that enabled the citizens of the nations of Southeast Asia to gain equal status alongside the United States and Britain today? It is because Japan, who acted like a mother to us all, carried out acts of benevolence towards us and performed feats of self-sacrifice. December 8th is the day when Mother Japan – who taught us this important lesson – laid her life on the line for us, after making a momentous decision and risking her own well-being for our sake.

Furthermore, August 15th is the day when our beloved and revered mother was frail and ailing. Neither of these two days should ever be forgotten”.

「日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産して母体をそこなったが、産まれた子供はすくすくと育っている。

今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。

十二月八日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大決意をされた日である。そして八月十五日は我々が愛し尊敬している母が病み床に伏せた日である.我々はこの両日を忘れてはならない」

The Last Words of Hideki Tojo, former Prime Minister of Japan




東條英機元首相公的遺書全文
遺書


開戦当時の責任者として敗戦のあとをみると、実に断腸の思いがする。今回の刑死は個人的には慰なぐさめられておるが、国内的の自らの責任は死を以もって贖あがなえるものではない。

しかし国際的の犯罪としては無罪を主張した。今も同感である。ただ力の前に屈服した。自分としては国民に対する責任を負って満足して刑場に行く。ただこれにつき同僚に責任を及ぼしたこと、又下級者にまで刑が及んだことは実に残念である。

天皇陛下に対し、又国民に対しても申し訳ないことで深く謝罪する。

元来日本の軍隊は、陛下の仁慈の御志おんこころざしに依より行動すべきものであったが、一部過ちを犯し、世界の誤解を受けたのは遺憾であった。此度このたびの戦争に従事してたおれた人及び此等これらの人々の遺家族に対しては、実に相済まぬと思って居る。心から陳謝する。

今回の裁判の是非に関しては、もとより歴史の批判を待つ。もしこれが永久平和のためということであったら、も少し大きな態度で事に臨のぞまなければならないのではないか。此の裁判は結局は政治的裁判で終わった。勝者の裁判たる性質を脱却せぬ。

天皇陛下の御地位は動かすべからざるものである。天皇存在の形式については敢えて言わぬ。存在そのものが絶対必要なのである。それは私だけではなく多くの者は同感と思う。空気や地面の如ごとく大きな恩めぐみは忘れられぬものである。

東亜の諸民族は今回のことを忘れて、将来相あい協力すべきものである。東亜民族も亦また他の民族と同様に天地に生きる権利を有もつべきものであって、その有色たるを寧むしろ神の恵みとして居る。印度インドの判事には尊敬の念を禁じ得ない。これを以もって東亜諸民族の誇りと感じた。

今回の戦争に因よりて東亜民族の生存の権利が了解せられ始めたのであったら幸いである。列国も排他的の感情を忘れて共栄の心持ちを以て進むべきである。

現在日本の事実上の統治者である米国人に対して一言するが、どうか日本人の米人に対する心持ちを離れしめざるよう願いたい。又日本人が赤化しないように頼む。大東亜民族の誠意を認識して、これと協力して行くようにされねばならぬ。実は東亜の他民族の協力を得ることが出来なかったことが、今回の敗戦の原因であったと考えている。

今後日本は米国の保護の下に生きて行くであろうが、極東の大勢がどうあろうが、終戦後、僅か三年にして、亜細亜大陸赤化の形勢は斯かくの如くである。今後の事を考えれば、実に憂慮にたえぬ。もし日本が赤化の温床ともならば、危険この上もないではないか。

今、日本は米国より食料の供給その他の援助につき感謝している。しかし、一般人がもしも自己に直接なる生活の困難やインフレや食料の不足などが、米軍が日本に在るが為ためなりというような感想をもつようになったならば、それは危険である。依よって米軍が日本人の心を失わぬよう希望する。

今次戦争の指導者たる米英側の指導者は大きな失敗を犯した。第一に日本という赤化の防壁を破壊し去ったことである。第二には満州を赤化の根拠地たらしめた。第三は朝鮮を二分して東亜紛争の因たらしめた。米英の指導者は之を救済する責任を負うて居る。従ってトルーマン大統領が再選せられたことはこの点に関し有り難いと思う。

日本は米軍の指導に基づき武力を全面的に抛棄した。これは賢明であったと思う。しかし世界国家が全面的に武装を排除するならばよい。然しからざれば、盗人が跋扈する形となる。(泥棒がまだ居るのに警察をやめるようなものである)

私は戦争を根絶するためには慾心を人間から取り去らねばと思う。現に世界各国、何いずれも自国の存在や自衛権の確保を主として居る(これはお互い慾心を抛棄しておらぬ証拠である)。国家から慾心を除くということは不可能のことである。されば世界より今後も戦争を無くするということは不可能である。これでは結局は人類の自滅に陥るのであるかも判らぬが、事実は此この通りである。それ故ゆえ、第三次世界大戦は避けることが出来ない。

第三次世界大戦に於おいて主おもなる立場にたつものは米国およびソ連である。第二次世界大戦に於いて日本と独乙ドイツというものが取り去られてしまった。それが為、米国とソ連というものが、直接に接触することとなった。米ソ二国の思想上の根本的相違は止むを得ぬ。この見地から見ても、第三次世界大戦は避けることは出来ぬ。

第三次世界大戦に於いては極東、即ち日本と支那、朝鮮が戦場となる。此この時に当たって米国は武力なき日本を守る策を立てねばならぬ。これは当然米国の責任である。日本を属領と考えるのであれば、また何をか言わんや。そうでなしとすれば、米国は何等なんらかの考えがなければならぬ。米国は日本八千万国民の生きて行ける道を考えてくれなければならない。凡およそ生物として自ら生きる生命は神の恵である。産児制限の如ごときは神意に反するもので行うべきでない。

なお言いたき事は、公、教職追放や戦犯容疑者の逮捕の件である。今は既に戦後三年を経過して居るのではないか。従ってこれは速すみやかに止めてほしい。日本国民が正業に安心して就くよう、米国は寛容の気持ちをもってやってもらいたい。

我々の処刑をもって一段落として、戦死傷者、戦災死者の霊は遺族の申し出あらば、これを靖国神社に合祀せられたし。出征地に在る戦死者の墓には保護を与えられたし。戦犯者の家族には保護をあたえられたし。

青少年男女の教育は注意を要する。将来大事な事である。近事、いかがわしき風潮あるは、占領軍の影響から来ているものが少すくなくない。この点については、我が国の古来の美風を保つことが大切である。

今回の処刑を機として、敵、味方、中立国の国民罹災者の一大追悼慰霊祭を行われたし。世界平和の精神的礎石としたいのである。勿論、日本軍人の一部に間違いを犯した者はあろう。此等これらについては衷心謝罪する。

然これと同時に無差別爆撃や原子爆弾の投下による悲惨な結果については、米軍側も大いに同情し憐憫して悔悟あるべきである。

最後に、軍事的問題について一言する。我が国従来の統帥権独立の思想は確に間違っている。あれでは陸海軍一本の行動は採れない。兵役制については、徴兵制によるか、傭雇兵制によるかは考えなければならない。我が国民性に鑑みて再建軍隊の際に考慮すべし。再建軍隊の教育は精神主義を採らねばならぬ。忠君愛国を基礎としなければならぬが、責任観念のないことは淋しさを感じた。この点については、大いに米軍に学ぶべきである。

学校教育は従前の質実剛健のみでは足らぬ。人として完成を図る教育が大切だ。言いかえれば、宗教教育である。欧米の風俗を知らす事も必要である。俘虜のことについては研究して、国際間の俘虜の観念を徹底せしめる必要がある。
辞世

我ゆくもまたこの土地にかへり来ん 国に報ゆることの足らねば

さらばなり苔の下にてわれ待たん 大和島根に花薫るとき

『祖父東條英機「一切語るなかれ」』東條由布子 著 (文藝春秋) より

(東條由布子の「凛として愛する国に」より)

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posted by Kissandtell at 14:20| シドニー ☁| Comment(0) | アジアの独立 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月06日

Invasion Day or Australia Day

今日、1月26日は、”Australian Day”という祝日だ。 
今か ら227年前の1788年にイギリス艦隊がシドニーに到着したことに因んで祝日になったようだ。 ただし、ネイティブであるアボリジニにとって1月26日 は侵略者が自分たちの降り立ち、地獄の日々が始まった日であり、彼らはこの日を"Invasion Day"と呼ぶ。 

イギリス人が狐狩りの狐の代わりにアボリジニを射殺していたことは有名な話だ。

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アボリジニの怒りは当然であり、Julia Gillard元首相はAustralian Dayの日に襲撃されている。

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このような事件が起きたためか、Australian Dayの祝日を別の日にという動きもある。
21世紀になった今、普通の神経の持ち主なら「侵略した日」を祝日にすることはないだろう。 

元首相のケビンは、「我々は、アボリジニに謝罪をした」と自慢していたが、「侵略の日」を祝日にしたままで謝罪しても意味はない。まったく、ケビンは、教養がないだけではなく、大マヌケなとっちゃん坊やだ。

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イギリス人によるアボリジニ国の侵略と対照的なのが日朝併合だ。 

日朝併合は、国際法学者からみても合法であり、更には、朝鮮人自身が日本による併合を望んでいた。 

その1つの証拠が、1909年12月、大韓帝国の親日団体一進会(公称会員数百万人、実数数万人程度)が皇帝純宗、韓国統監曾禰荒助、首相李完用に送った朝鮮と日本の対等合併を要望する声明書(韓日合邦建議書)だ。

「日 本は日清戦争で莫大な費用と多数の人命を費やし韓国を独立させてくれた。また日露戦争では日本の損害は甲午の二十倍を出しながらも、韓国がロシアの口に飲 み込まれる肉になるのを助け、東洋全体の平和を維持した。韓国はこれに感謝もせず、あちこちの国にすがり、外交権が奪われ、保護条約に至ったのは、我々が 招いたのである。第三次日韓協約(丁未条約)、ハーグ密使事件も我々が招いたのである。今後どのような危険が訪れるかも分からないが、これも我々が招いた ことである。我が国の皇帝陛下と日本天皇陛下に懇願し、朝鮮人も日本人と同じ一等国民の待遇を享受して、政府と社会を発展させようではないか

当時の朝鮮の生活を考えれば併合を望んだものが多数いたことは用意に推測できる。

Korea and Her Neighbours. A Narrative of Travel, with an Account of the Recent Vicissitudes and Present Position of the Country. With a Preface by Sir Walter C. Hillier. (English Edition)Korea and Her Neighbours. A Narrative of Travel, with an Account of the Recent Vicissitudes and Present Position of the Country. With a Preface by Sir Walter C. Hillier. (English Edition)
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朝鮮にせよ、アボリジニ国にせよ、先進国の併合無しに文明化を果たすことはできなかったことは間違いない。
しかし、どの宗主国によって植民地人の運命は大きく異なってくる。


もし、アボリジニに宗主国を選ぶ権利があったなら、彼らは迷わず日本を選んだことだろう。 (戦前、日本は国際連盟の常任理事国であり、その常任理事国として豪州政府に対してアボリジニの待遇改善を行うよう指示を出していた。)
 
高い能力がある日本人がオーストラリアに入ることで、オーストラリアは最先端技術と資源を併せ持ったアメリカに匹敵する強大な国家になっていたことだろし、アボリジニはアメリカン・インディアンよりもはるかに良い待遇を受けていたに違いない。

オージーになど資源を持たせておいても「猫に小判」。 
オージーにはアボリジニの資産を有効に使い彼らに富を還元することはできない。ただただ、資源を掘り出して海外へ売りさばくだけだ。
posted by Kissandtell at 06:49| Comment(0) | アジアの独立 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月05日

スディルマン陸軍大将


紅白での桑田クンの情けない格好を見ていて思い出した産経の記事があるので紹介する。

この写真は、インドネシアから防衛省に寄贈されたスディルマン陸軍大将(1916〜50年)の銅像で、
将軍は大日本帝國陸軍から不屈のセイシン(精神)を学び、インドネシアの独立戦争を戦い抜いたインドネシアの英雄だ。


2011年1月14日、インドネシアから防衛省に寄贈されたスディルマン陸軍大将(1916〜50年)の銅像の除幕式後、像の前で握手する北沢俊美防衛相(当時、右)とインドネシアのプルノモ国防相。将軍は大日本帝國陸軍から不屈のセイシン(精神)を学び、インドネシアの独立戦争を戦い抜いた(防衛省提供)


自ら独立を勝ち取った国家と外国に解放してもらった国家では《品格の差》が滲(にじ)み出る。歴史を正視できる《矜恃(きょうじ)の差》と言い換えても良い。

  矜恃あるインドネシアは、防衛省に2011年、大日本帝國(ていこく)の軍人・官吏から不屈の「セイシン(精神)」を学び、対オランダ独立戦争を戦い抜いたスディルマン陸軍大将(1916〜50年)の銅像を寄贈した。独立戦争指導者より初代国軍総司令官となった将軍は、教科書や士官学校の戦史教育で登場。 目抜き通り名にまでなった。


 片や韓国。日本の敗戦後、米国が解放した。帝國陸軍の教育を受け聯合(れ んごう)軍と戦い、朝鮮戦争(50〜53年休戦)で韓国を救った朝鮮人の英雄は皆、売国奴・悪人として歴史上抹殺され、将軍のような誇れる英傑がほとんどいない。結果、朝鮮併合に反対した初代朝鮮統監・伊藤博文(1841〜1909年)を暗殺してしまう頓珍漢な朝鮮人テロリスト安重根(1879〜1910 年)の像を暗殺現場に建立したいと中国に泣きついた。

日本がもたらした“DNA”で自信を付けたインドネシア。自信を付けようと“DNA”を断ち切ったはずが、自信が持てない韓国。2体の像に、大人と子供ほどの成長の違いを感じる。

 叩き込まれた「三訓」

 インドネシアは17世紀以降350年にわたりオランダの過酷な植民地支配に苦しめられた。徹底した愚民政策で、利用価値のある一部を除き教育・医療を受けさせず、私有財産も認めない。集会やイスラム教の信仰も禁止した。

 ところが1942年、帝國陸軍はわずか9日間でジャワ島の聯合軍を降伏させて圧政より解放した。現地の人々は日本の将兵が自分たちと同じ小柄で、同じ肌の色であることに驚く。12世紀以来の言い伝えを噛み締めた者も数多(あまた)いた。

 《外部より侵入した白い人間に支配される時代が続く。その後、北から黄色い人間が来て、白い人間を追い払う》

 《黄色い人》は善政を実行に移す。《蘭領東インド》を《インドネシア》に改称。


公用語を蘭語からインドネシア語に改めた。国旗掲揚・国歌斉唱を復活させた。独立を見据え、インドネシア人を官庁・企業の次席級を含む高職位に就け、各種の学校を開校。逮捕・監禁された独立運動家も釈放した。

  ただ小欄は、インドネシア独立に最も強く直接影響したのは郷土防衛義勇軍=PETA(ペタ)創設だと思っている。終戦時には3万8000人まで膨れたイン ドネシア人による義勇軍は、後の独立戦争(1945〜49年)→国軍創設の核となる。《帝國陸海軍の傀儡(かいらい)》との指摘は少し違う。確かに、帝國 陸軍の兵力不足を補う側面は認められる。ただし、インドネシア指導層にも、完全な独立達成に国軍創設は不可欠という深刻な危機感があった。

  帝國陸軍はペタ幹部候補生に直接軍事教育を行った。「正直であれ/勇気を持て/常に前進せよ」の三訓が叩(たた)き込まれた。今尚(なお)、国軍退役将軍 は「ソッセンスイハン(率先垂範)」を諳(そらん)ずる。日本人教官は完全武装しヒルだらけの川を渡るなど、身を以て手本を示した。触れたこともない祖国 の歴史や世界情勢の座学もあった。斯くして、訓練は厳しかったが優柔不断・小心臆病だったインドネシア人は次第に死への恐怖を克服し、愛国心を覚醒させて いった。

 真理を見極められる姿勢

 スディルマン将軍や第2代大統領スハルト(1921〜2008年)もその一人だった。日本の敗戦後、反攻してきた蘭軍12万と英・豪軍相手に80万ともいわれる犠牲者を出す4年5カ月の死闘を制したのは、国際世論の変化にも助けられたが、日本の軍人・官吏らの熱き指導あったればこそ、と断じたい。

 指導だけではない。残存の3万丁の各種銃器や手榴弾(しゅりゅうだん)9500発、数百の野砲・トラックを敗戦後、密(ひそ)かに供与した。

 兵器だけではない。教え子に請われ、また途中で挫(くじ)かれた東亜新秩序樹立を完結させんと、終戦後もインドネシア軍とともに戦った帝國軍人も多い。残留将兵2000〜3000の内400〜1000人が独立戦争で散華。国営英雄墓地などに埋葬された。一部は独立名誉勲章を受けた。

もっ とも終戦4カ月後、独立を焦る余り、一部組織が日本の陸軍将兵・国民を一方的に虐殺し武器・食料を略奪した。帝國陸軍は抑止のため、極めて抑制的な報復攻 撃を加えた。この時、多数の無辜(むこ)のインドネシア人が巻き添えになったが、インドネシア側は後に複数の検証により自らの非を認めている。

 片や嫉妬に狂う国


 歴史・真理を冷静に見極められる姿勢は今も変わらぬ。1990年代に突如浮上した“インドネシア人慰安婦”問題では、日本の左翼系弁護士らに焚きつけられた策動だと看破し、政府もメディアも弁護士らに不快感を持った。2007年の防衛庁省昇格では、国防相が歓迎し「日本国憲法第9条改正」にまで賛同。「自国防衛を強化して、米国に委ねる度合いを減らしつつ…」などと、独立を自ら掌中に収めた誇りさえ垣間(かいま)見せた。

 集団的自衛権行使や憲法改正による国防軍保有にも13年、安倍晋三首相(59)と会談したスシロ・バンバン・ユドヨノ大統領(64)がこう言い切った。

「完全に合理的な考え。防衛力を持った日本は地域安定のプラスになる。全く賛成だ。何の問題もない」


 靖国神社参拝でも大統領は「国のために参拝を行うのは当然」と明言する。韓国との違いはどこから来るのだろう。インドネシアの閣僚が1957年、岸信介(きし・のぶすけ)首相(1896〜1987年)に伝えた言葉に答えを見付けた。

 「日本が米・英・蘭・仏を面前で徹底的に打ちのめしてくれた。白人の弱体と醜態ぶりをみて、アジア人全部が自信を持ち独立は近いと知った。一度持った自信は決して崩壊しない。日本が敗北したとき、これからの独立は自力で遂行しなければならないと思った」

 なるほど。「アジア」ではない南米スリナムは、インドネシアの独立宣言後30年もたってオランダから独立した。しかし「アジア」には「独立に関し、一度も自信を持てない」国、「独立を自力で遂行できなかった」国も在る。

 韓国!!!


posted by Kissandtell at 14:58| Comment(0) | アジアの独立 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする